少し前の回顧録にも書いたのだが、僕の母は、吃音症の原因を当時近くに住んでいた僕より2つ年上であるT君のモノマネに求めていたようだ。
しかし、僕にはT君が吃音症だったという記憶はない。
家が目の前だっただけに、T君とは僕たち家族が小学校3年生の夏に引越をするまでずっと遊んでいた。
小学校3年といえば記憶も確かになっている年頃、その中でもやっぱりT君がどもっていたという記憶は僕にはない。
ただしT君にどもりの原因の一端はあったのかもしれないという衝撃的な出来事があった。
3歳時の頭に石が落とされるという衝撃
あれは僕が3歳の頃だった。
小学校3年の夏まで住んでいた場所は、東京都下の街で、遺跡などが度々発掘される土地柄だった。
そして事件が起こった場所も公園を作る際に事前の発掘調査が義務付けられていたという。
僕の家からは(つまりT君の家からも)歩いて2分ほどで、隣には中くらいの規模の総合病院、病院の裏には僕らが通っていた小学校があった。
いつものようにまだ公園にはなっていない発掘現場に、僕とT君、そしてT君の妹(僕と同じ3歳)の3人で潜入した。
日曜日だったのか、作業時間が終了していたのか記憶が定かではないが、とにかく僕らが発掘現場に行った時は無人だったのである。(というか3歳時の頃の記憶なんてほとんどないので、ほぼ後々母から聞いた話である)
現場は春雨の最中でぬかるんでいた。
足元が泥だらけになりながらも、3歳~5歳の子どもたちは発掘されたあとに隠れながら遊んでいた。(このあたりの記憶は自分でも信じられないが少しだけある)
発掘後は溝状のように掘ってあるのだが、一部が深く、そしてかまくらのように土を繰り出し、屋根があるような形で掘削されている場所があった。
ほら穴である。
そこに身を潜めた僕は、発見されるのを待っていた。
しかし一向に見つけれないので、他の二人が帰ってしまったのではと穴の外に出ることに・・・
その瞬間悲劇は起こった。
僕がほら穴から出ると同時に、ソフトボール大の(ここはしっかりと記憶にあるのだが、僕には雪だるま大に感じられた)石が真上から落ちてきたのである。
瞬間、僕の頭には星が周り、地面にひれ伏すことに。
そこから先は、かすかな記憶しかないのだが、とにかく気づいた時には手が血だらけだったことだけ覚えている。
T君か、T君の妹のどちらかが、どちらかの母親を呼びに行き、僕は即座に隣の病院に運ばれた(ようだ)
その時にできたと思われる凹みが下記の写真。
写真ではあまりよくわからないかもしれないが、前頭葉と後頭部の堺に溝が走ったように凹んでいる。
さて、この脳に対する図らざる衝撃。
お互いの親も気まずくなったのが、僕にとっては大事件だったこの事件も、その後、僕とT君との家族の会話に登ることはなかったという。
なんでもT君いわく、「穴に隠れているのは知っていて、上から石を落としてびっくりさせようと思った」とのこと。
僕も彼の言い分は正しいだろうと思う。5歳そこそこの少年で、普段仲良く面倒を見てくれていたT君が、わざと僕が穴から出てきたところを石で当ててやろうなんて考えていたとはとても思えない。
しかし、幼少時である3歳時に頭に強い衝撃を追ったのも事実。
さて、その後の僕の人生に、ひいては吃音症を患ってしまった原因となり得るのだろうか・・・
吃音症の原因になるのかの検証だが・・
頭部に対する衝撃が吃音症の原因となり得るのか?
これに対する答えは残念ながらわからなかった。
言語に影響を及ぼす言語中枢は左脳にあり、その左脳、もしくは左脳直接ではなくても様々な神経が走っている頭部に挫傷があれば、当然吃音症に限らず、どんな疾病の影響も考ええられる。
一方で、太りやすい体質と太りにくい体質があるように、吃音症になりやすい体質と吃音症になりにくい体質というのも存在するのも確か。
遺伝子、つまりDNAによる吃音症への影響は明らかになったようである。
そして、僕の祖母にどもりグセがあったことについては前回の回顧録でお話した。
今となっては思い出のネタ
結局、頭部への衝撃が吃音症の原因になるかどうかはわからなかったわけだが、この回顧録を書くために3歳時の大事件のことを思い出しただけで、それまでにT君を恨んでいたとかそういうことは一切なかった。
今となっては、吃音症の原因なんて僕にとっては特に意識する必要なないことだが、とはいえ、もしかしたら潜在意識の中には残っていた可能性はある。
今回、運良く吃音症を克服する機会に恵まれ、改めて晴々しい気持ちになったのも事実。
改めて、克服するきっかけとなった電子書籍と、自分の(かつての)欠点を武器に変えてくれたいまの職業には感謝したい。