もしあなたが人前で話すのがむちゃくちゃ苦手で、話すことを想像するだけで吐き気がするような状態のもと、そんな場面が毎朝来るとしたら人生楽しく感じるだろうか?
もしあなたが新入社員だったとして社員は自分一人、仕事もまだほとんどわからずに毎日プレッシャーの中で生活をしなければならないとしたら朝が来るのを待ち遠しく感じるだろうか?
上記の仮定は、実は仮定ではない。
もちろん世の中若くても大変な思いをして仕事をしている人はたくさんいると思うが、それでもあの頃は本当に死にたくなったと言える時代を過ごした経験を自分なりに振り返ってみたい。
そんな僕を、絶望へと追いやってくれた毎朝のイベント。
それは・・・朝礼である。
多汗症も併発・・・
ところで、吃音者じゃなくても人前で話すことが苦手な人は少なくはないと思うが、そもそもそういう人たちはどれくらい悲痛な思いをしているのだろう。
人前で話すことが苦手な人には、あがり症はもちろんのこと、多汗症などを併発している人も多いと思う。
実は、僕はあがり症というのはよくわからないが、多汗症ではある。
吃音症と多汗症、そして社員一人で仕事も満足に分からないないのに現場に放り出された現場監督時代。
いま考えると、そりゃ死にたくもなるわなと思う。
建設業の朝礼の特殊性
改めて死にたくなった時の場面を思い出すわけだが、いま思い出しているのは入社3年目の朝である。
新入社員の頃から一人で現場にいくことは多かったが、入社3年目のこの現場では、ストレスの度合いが違っていた。
中小の建設会社はともかく、大手ゼネコンの建設現場では必ず朝礼というものをやる。
一般の会社の朝礼は売上目標の確認などの内容がメインなんだろうが、建設業のそれは違う。
いわゆる安全管理がメインの安全朝礼なのである。
これが建設会社の朝礼の一つの特徴。
さらに建設現場の特徴としては職種の違う数多くの業者が出入りしているということだ。
これは非常に危ない。
他業者の作業や搬入物を把握していないと、安全管理的にも危ないわけだが、搬入が重なったりする結果、搬入口で受け入れ側にも現場前の道路にも渋滞ができて迷惑がかかるからである。
そこで、繰り返すが建設業では朝礼というものが、(大手ゼネコンになればなるほど)厳密に行われる。
そして毎朝が憂鬱になった
ということでようやく具体的な場面を振り返るわけだが、場所は横浜市、みなとみらいを見渡せる某駅前の高層ホテル。
この現場が、僕が毎日死にたくなるほど悶絶して出勤した現場だ。
僕は若干25歳にして建築現場で、基礎掘削工事のサブコン(専門業者)側の責任者をやっていた。
逆打ち工法という工期短縮を可能にする工法を採用しており、僕が担当していた基礎掘削と、高層ビルの上部工事が平行して行われるという、なんともスリリングな工法。
そのため当然業者の数も、そこで働く人数も莫大なものになる。
僕がいた時には、実に業者数30業者以上、作業人数は300人にも達した。
まるでちょっとした学校だ。(今は全校生徒で300人もいない学校が普通にあるだろうか)
各職種の責任者は、必ず朝礼で会社名はもちろん、その人の作業内容、作業人数、搬入予定を発表しなければならない。
当然、掘削作業の担当者である僕も毎朝しゃべる必要があった。
ここで問題なのが、もうお分かりのようにどもりグセ。
とにかくまず朝の挨拶に難儀する。
「おはようございます」
このひとことがスムーズに出てこないのだ。
建設現場というのは、とっぽい(不良めいた)人間も多く、ここでだらしない姿を見せると自分の仲間だったらいうことを聞いてもらえない、つまり舐められるし、他の業者にも当然舐められて自分の作業を優位に進められない。
恥、侮辱、屈辱から、絶望、不眠、吐き気・・・
本当にうつ病の一歩手前だったと思う。(今となっては当時はうつ病だったんだと思うが)
吃音者の心境はわからない?あろうことか・・
最後に追い打ちが僕を襲う。
それは朝礼の司会を元請け、つまりゼネコンの職員ではなくて僕らみたいな協力業者にやらせることになったこと。
もちろん表向きの実際に作業をやるサブコン、職人が司会をやったほうが自主的に安全意識が強まるという理由はあるが、ゼネコン職員が楽をしたいというのも事実。
そんなことはいいが、あろうことか僕が初代司会に。
何も僕が優秀だったというわけではない。
基礎掘削の業者というのは実質現場に一番最初に乗り込んでくるので単なる順場で僕に抜擢されたというもの。
司会、それは朝礼が始まる一発目に僕が苦手にしていた
「おはようございます」
という呪文を唱えなければいけなければならないポジション。。。
いまつくづく思う。
あの日、あの頃、「死」という選択をしなくてよかったなと・・・
そして今一度吃音を克服できた意味を問い合なおしてみたい。