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転校生がいじめられる傾向にあるというのは引っ越す前から聞いたことがあったかもしれない。

というのも自分が後にいじめられる経験をするなんてことは思ったこともなかったので、今となっては、転校生のいじめに関して予備知識があったのか、なかったのか。

そこが思い出せないのである。

しかしまあ、世間的には転校生はいじめられやすいというのが定説であろう。

そんな転校生が、もしもどもりグセを抱えていたとしたら・・・

小学校3年の夏

小学校3年の夏休み、僕は人生初の転校をした。

後にも先にも唯一の転校である。(もっとも高校は誰もしらない環境に入ったので、ある意味転校に近い経験なのかもしれないが)

それまで東京都下の郊外に住んでいたのだが、親父が会社の後輩から土地を書い、そこに仮ではあるがプレハブのような家を建てたのだ。

新天地は埼玉県。

今までの家から来るまで1時間弱の場所なのだが、何か話し方とかも違って「引っ越してきたんだな」という実感を得た記憶がある。

とは言っても話し方の違いを言ったら僕も負けはしない。

そう、どもりグセを抱えていたのだ。

ただでさえいじめられやすいという転校生、そんな転校生にどもりグセがあったらなら・・・

いじめられないほうが不思議だ。

転校の挨拶は乗り越えたがやっぱりか

まずはじめの難関が転校生の挨拶だった。

たいていの場合、転向してくると担任の先生の紹介があり、前に立って挨拶をしなければいけない。

挨拶、スピーチのたぐいは吃音者にとっては地獄のようなミッションなのだが、教室の前に立つまではそれほど苦にならなかった。

異変に気づいたのは前に立った時である。

「こんにちは」

この何気ない一言が出てこない。

そう、あの吃音者特有の繰り返し、結局

「こここここここ、こんにちは」

最初の一言はこんな感じになったのだと思う。

思えば、この挨拶がどもりグセで嫌な思いをした始めての経験だったような気がする

それまでも自分がどもっているなという認識はあったのだが、誰かに突っ込まれるとか、ましてやいじめられるなどという経験はしたことがなかった。

で、実際にはどうなったのか?

案の定、次の日からいじめが始まった。

実は目の前に同級生がいて、かつクラスも一緒だったY君と転入のその日に仲良くなった。

家が直ぐ目の前ということで、初日から一緒に帰ったりしたのである。

そのY君までもが数日後には態度を変えていた。。。

嫌われ者にならないための本能

とにかくからかわれる。

「おい、航汰!こここここ、こけっこ~~」

「ああああああ、ありがとう?お礼はしっかり言えよ\(`o'”) こら-っ」

今から考えると中学生くらいになると物事の分別もつくので、ここまでひどいいじめにはならなかったのかなと思う。

10歳前後の小学生というのは、言葉もたくさん覚えてくるし、社会性もできてくる。

極めつけは、なのにまだ子供なので正直だということだ。

これを言ったら傷つくとかいう感覚が弱いのだ。

この出来事には相当へこんだ。

一つ間違えていたら不登校になっていてもおかしくなかったと思う。

しかし結果として僕は踏みとどまることができた。

きっと幼いながらに嫌われ者にならないための本能が働いたのだろう。

笑えるが当時のことを分析すると、まずはじめに考えたことは、

笑ってもらえればいじめられない

ということを肌で体験したんだと思う。

ではどうやったら笑えってもらえるのか?喜んでもらえるのか?を考えた結果、僕はこんなことをすることになった。

そこには今のキャラクターの原点があった

モノまねをしたのだ。

いろいろな芸能人のモノまねをしたのである。

中でも僕が大好きだった松田聖子のモノまねは大ウケした。

喜んでもらえるとすぐに調子に乗るタチだった僕は、休み時間中に教壇の上に立って歌を歌っていた記憶がある

もちろん、アカペラだ(笑)

声変わりの前だった小学3年生の僕は、ウィーン少年合唱団にも負けないくらいの美声で、いじめられっ子から一躍クラスの人気者に・・・

まではならなかったものの、少なくともよそ者というレッテルは外れたなと思った瞬間だった。

今でも、ヒトが笑ってくれることに密かな喜びを感じる。

ヒトを笑わせるのが好きなのだ。

そんな、どもりグセがあるのにもかかわらず、どこかで楽天的だった僕のキャラクターは、その後吃音者として辛い思いを何度もすることになるが、最終的に吃音症克服という大きなハードルを超えるために役立ったくれたような気がする。

しかし、一つだけこの戦略には問題があった。

機会があったらそれについても日記を書きたいと思う。