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短くもないが長くもない40年という人生の中で、自分でも愚かなことをしたなと思うことがいくつかある。

その中でも最大級なことが中学校の生徒会で選挙管理委員長に立候補したこと

そしてあろうことが、当選してしまったこと。

中学時代、吃音症にもかかわらずスピーチをすることになった話の顛末を振り返る。

なぜ吃音症の僕が大胆にも生徒会なんかに関わったのか

最初のきっかけは生徒会長に立候補することが決まっていたY君の誘いだった。

Y君とは小学校の頃から少年野球も一緒にやってきた中。

野球をやっている時はすごくどんくさくて、本当に大切なところでエラーするような少年だった。

そんな彼が頭角を現してきたのが中学時代の後半。

運動神経も悪いのになぜか人気がある彼が生徒会長に立候補するという。

考えてみれば彼の母親も自治会やらPTAやらで役員をやるのがすこぶる好きなタチ、きっとY君もお母さんに似たのだろう。

そうこうしているうちに、Y君はいう

Y君:「航汰もなんかやらねえ?」

吃音症の僕に向かってである。

僕:「やるわけないじゃん」

どもりグセがあるからと、理由はわかっているはずなのに聞いてきた

Y君:「なんでやんないの~???」

僕はしかとしていたんだが、軽く好意を寄せていたKちゃんが後を押す

Kちゃん:「やったほうがいいよ~。できるって!」

彼女だって僕が吃音症だということをしっているのに・・・

でも、モテることにかけてはコンプレックスを抱えていた僕は、2~3日悩んだ挙句に立候補することになったのだった。

いざ朝礼でのスピーチへ

生徒会の中でも選挙管理委員長なんていう地味な役割をやりたがるのは多くはない。

モテることを目的とするなら、文化祭や体育祭の実行委員長とか放送委員会の委員長などのポジションがある。

とはいえ僕の他にひとりが立候補し、一応選挙で選ばれる形での当選になった。

実は選挙の時に一度立候補者のスピーチをしているはずなんだが、なぜかその時の記憶が飛んでいる。

文字通り頭が真っ白になった記憶だけが蘇る。

ちなみに、Y君はなにも選挙管理委員長をご指名で僕を生徒会に誘ったわけではない。

僕が自分で決めたのだ。

理由は単純明快で、選挙管理委員長というのは、僕らが通常生活していれば意識するように季節物。

つまり年に2~3回の決まった時期にしか活動をしなくてもいい。

そんな気軽さから選挙管理委員長を選択することに。

しかし、その時期になれば当然あることをしなければならない。

それが朝礼でのスピーチ

まあ、スピーチとはいっても、いわゆる演説めいたものではなくて単なる連絡役。

それでも当時の僕にとっては一大事だった。

時は第二次ベビーブームの最盛期に産まれた僕。

僕らと僕らのひとつ下の学年が一番多い世代だったので、全校で1,200人ほどだった。

朝礼台に上がることを1週間前から意識していた僕。

睡眠だけは取れるのが僕の取り柄だが、当日はさすがに朝から吐き気が。。。

残酷にも朝礼の進行は順調に進んでいく。

心のなかでは

(ここで誰か貧血で倒れれば今日は話さなくてもいいかも・・・)

などと縁起でもないことを考えてみても、冷静になれば生徒が貧血で倒れたくらいでは朝礼は中断しない。

さて次は僕の番。もうひげない。とその時司会が僕の名を・・・

司会:「次は選挙管理委員長の結城さんからご連絡です」

諦めて僕は木目の体育館のステージへ登る。

僕がステージへ上がると、なぜか会場がザワついた。

 

あの時の経験が今の僕を作っているのかもしれない

なぜザワついているのかは当時の僕にはわからなかった。

そして僕が話すと少しだけ笑いが起こる。

なぜ笑うんだろう・・・

それというのも、実はいざステージへ上がってしまうとなぜかどもりが改善される傾向になるのだ。

だから笑われるほどな失敗や吃音は出ていなかったと今でも思っている。

自分では、人気者なのかという錯覚さえした。

そんなことを思う僕だから、きっと当時の愚かな誘いにも乗ってしまったのだろう。。。

ただし、

あの頃の経験は今に生かされていると思う。

30代後半にようやく吃音症を克服した僕は、ライターをメインの職業にするものの時折セミナー講師なんぞを引き受けている

あれだけ重度の吃音者だった僕が、だ。

でももしあの時、無理を推しても1,000人以上の前で話すという経験をしていなかったら、きっと今の僕はないに違いない。

いや、いまだに吃音症さえも克服していなかったかもしれないのだ。

つくづく人間万事塞翁が馬だなと今となっては回想することができる。

つまり愚かに思っていたのは当時のこと。

あの頃の勇気を思い出すと、今なら何でもできそうな気がする。