160510daigaku

吃音者にとって面接というのは一大イベントにとどまらず、一大事件に分類される。

必ず苦しい思いをするし、必ず失敗をするし、それにより必ず悪い思い出が残ってしまうからだ。

それくらい吃音者にとっても面接というのは人生の中でも、もっとも忌み嫌いたいイベントなのだ。高校入試の面接、大学入試の面接、そしてもちろん就職の面接などありとあらゆる面接について。。。

そんな吃音者である僕にとっての面接もほとんどいい思い出というのはないのだが、たった一度だけ面接の帰りに小躍りしたくなるような、ワクワクし、そして清々しい思いをした面接がある。

それは、大学面接でのことだった。

結論から言えば・・・けど、いざ巨大キャンパスへ

その試験は高校から推薦をもらって受験する、いわゆる大学推薦入試だったのだが、結論から言ってしまえばその受験には失敗してしまった

しかしおそらく受験をする段階で落ちることは決定していたんだと思う。

なぜなら、その学科は日本でも数校しかない学科で、人気も高かった上に、僕の高校は大学の附属高校ではあるものの、大学に進学を希望するほとんどの生徒はその親大学進んでしまう生ぬるい体制だったからである。

自然と、学力も伸びていかないという意味では、受験した学科に合格できるレベルに、高校レベルで達していなかったのだと思う。

とはいえ、当時住んでいた埼玉の自宅から都内を経由し、私鉄小田急線に乗った。

親戚が住んでいる見慣れた神奈川の片田舎で下車し、徒歩で15分歩いたところにその巨大キャンパスは存在する。

午前中は筆記試験が行われそのままランチタイムになった。

面接は午後なのだが、当然、一番最後の方になるとずっとキャンパス内で待っていることになる。

どれだけ待ったかとか、待っている間に何をやっていたかなどはあまり記憶にはないのだが、どちらかというと、最後に近い方だったと思う。

やがて順番がやってくる。

特に変哲のない少し大きめの講堂のような場所は面接は行われた。

面接官は初老の大学教授である。

(スムーズに言葉が出てくるだろうか?)

(話す内容は準備してきたんだから誠実に答えれば吃音がでてもそれで評価はさがらない!)

それらのことを、心配し、そして信じながら面接室へ入った。

夢の行方

ここで話したことは当り障りのないことだ。

志望動機、興味のあること、特技、などなど

その教授の受け答えでなんとなく

「これ、きっと出来レースなんだな」

「内申書を出した段階で、きっとある程度合格者に当たりはつけてるんだろ」

「午前中の筆記試験なんて、ほとんど関係ないぞ」

みたいなことが分かり始めていました。

でもその当時の僕はまだまだ素直で(笑)

きちんと挨拶もして帰ろうという段階になったその時。

そう「その時歴史が動いた」的なその時である。

今でも僕のココロの奥深くに残る温かい言葉を面接官である教授から聞くことが出来た。

大学教授が僕に授けてくれた言葉。

「今日私に話してくれた夢は決して忘れないで下さい。諦めさえしなければあなたの夢は必ず叶いますから。まだまだ人生は長いですよ。」

その言葉を頂いた瞬間は当然吃音のことなんて忘れていた。

「あ、これ落ちるんだわ。」という感覚だけはあったのだが、まるで彼女から別れ話を切り出される時のような感覚?(笑)

なんかすっきりしちゃったことを明確に覚えている。と思った瞬間、目頭に熱いものを感じた

なぜなだろう?って今この回顧録を書きながら思い出してみてんだが、ぼんやりとだけど答えが見つかった気がする。

それはきっと、その教授が僕の夢を認めてくれたと感じたから。

ちょうど大学受験の1年前に父をなくし、若干大人に対して疑心暗鬼な面がなくはなかった。

そんなか、普通の人が聞いたら突飛と思われるような僕の夢を何の否定もせずに認めてくれた。

普通の周りの人だったら「すごい夢だね~」と言いつつもココロのどこかで「そんなこと出来るわけ無いじゃん」と心根では思ってるくせにというのが伝わってくんだが、

その教授は心底僕の夢が叶うと信じてくれて、しかもその夢だけは絶対に諦めるなと言ってくれた。

結果として、その面接時に教授に伝えた夢というのは叶うどころか、相当ドロップアウトしてしまった現在だけれど、現段階での夢というものを叶えよう、よしやってやろうという気持ちにしてくれた本日の回顧録であった。

40歳を過ぎても、夢を持って実現に向けて全力で突っ走っていく。

いまはそんなパワーが出てきたような気がする。

  • このような回顧録を書くきっかけとなったライターという職業
  • 40歳をすぎて完璧とまではいかなくとも十分吃音を克服に導いてくれた>この教材<
  • 夢を叶えることを諦めないことの尊さを教えてくれた大学教授

本当に感謝、感謝、感謝の毎日である。