160508lift

吃音者にとって、あの時しっかりと話せていればと思う場面は星の数ほどあったと思う。

僕も他聞にもれず、そんな気持ちをもつ一人。

その中でもひときわ後悔の念が大きくなりがちなのが謝罪が出来なかった時

たったひと言。

「スミマセン」

「ゴメンナサイ」

という謝罪の言葉が気軽に出てこないのだ。

その中でも、今でも決して忘れられないのが19歳の冬、友達に連れられて苗場スキー場での出来事。

小学校のクラスメートとの再会

その年の春、僕はやっとの思いで3流大学に合格した。

大学に合格すると早速アルバイトを始めた。そのバイト先(カラオケボックス)で偶然小学校のクラスメートと一緒になったのだ。

まあ、バイトは地元の埼玉でやっていたのだから久しぶりに顔を合わせたとはいえ、小学校の同級生と同じバイト先になってもおかしくはない。

相変わらず吃音のクセが抜けきれなかった僕だが、再会を喜んだものだ。

それほど大きなカラオケボックスではなかったので、同じ日に休みを取ることは難しかった。ましてや連休だとなおさらである。

でもそのS君は非常にスキーがうまいらしい。ただあまりプレッシャーに強い方にも思えなかったので、本当にSはスキーがうまいのかと、もともとスキーという遊びに興味があったことも相まってスキーに行くことにした。

なんでも彼の叔父が苗場にコンドミニアムを持っているということでそこを使わせてもらえるようになったのだ。

ということで、バイト先には正直に伝え、二人で連休をとりスキーに行くことに。

もちろん目指すは苗場スキー場。

初めてのスキーで、初めての・・・

僕は吃音という人生でもかなりのハンデがあるものの、吃音のため自分に自身が持てなかったので女性にもモテなかったものの、実は他のものは無難にこなす人間であった。

本当に吃音で死にたくなるほど克服したいと思ったのは就職の面接の時だったが、あとは友達に恵まれたのか、年齢がおとなになったのか高校時代も大学時代もそれほど吃音で嫌な思いをした経験はない。

ただ一度、スキーの時。僕の初めてのスキーは過酷だった

とにかく滑れないのである。最初はリフト脇の本当に傾斜が少ない場所で練習したのだが、まっすぐにさえ滑れない。

しかも焦ったのが、小学生くらいの子たちがスルスル滑っていること。

対する僕は、すぐにコケてしまうのだから本当にみっともない。

運動神経は悪い方ではなかったので、余計に惨めになり本当に辞めたくなった。

そんなもんで9時頃から始めた初めてのスキーは午前中の段階では上達を感じなかった。

線が悪いと思ったのか、Sは気を使ってくれ早めのランチを取ることになった。

スキーをした経験がある人はわかると思うが、最初の休憩の時はもうぐったりである。

とはいえ、朝から始めて午後一発目で、なんとなくヒョロヒョロ滑れるような感触を得られた

まだまだターンは出来ないのだが、どうやらまっすぐ滑れるようになってきたし、危ない時は転べば大丈夫なレベルにはなったのである。

ということで、翌日の分も含めてリフト2日券を購入していることもあり、リフトに乗ってみようということになった。

その時点でまだまだ不安であったことは間違いないんだが、とにかくチャレンジしてみなければ始まらない。

というSの言葉に押され、いざリフト乗り場へ・・・

二重の恥ずかしい思い、そして自己嫌悪

吃音者というのはどもりそのものが恥ずかしい。

「コ、コ。コ」「ど、ど、ど」「あ、あ、あ、」

言葉を繰り返すたびに、健常者であれば味わうことのない侮辱感を味わうことになるのだ。

それが苦手なことをやっていて、しかも喋らなくちゃいけない局面では・・・

さて、いよいよリフト乗り場へ向かい、自分の番がやってくる。

スキーやスノボーをやったことがある人はわかると思うが、リフトが目の前を通りすぎて、次のリフトが来る前に隙間を縫うように乗り場へ入る。

で二人乗りのリフトであれば、乗り場がそれほど広くない場所ではどちらかが先に進むことになる。

当然友達Sが先に乗り場へ入る。そして僕。

その時、事件は起こった。

蹴りだした僕の足が、少し凍結した雪に引っかかり、なんとその場で転倒・・・

しかも無理にリカバリーしようとしたからか、前のめりになる始末。

その瞬間、リフトは止まる止まる

ココロの中はパニック状態。

わかってるんですよ。恥ずかしさを紛らわすためにも謝らなきゃって・・・

でも僕は吃音者。

(スミマセン)、(ゴメンナサイ)のひと言が出てこない。

普段なら、どもりながらも出てくるのに、なぜかその時は口さえも開かなかった。

このままでは非常識な人間に・・・

リフトを止めてしまい迷惑をかけているのに「ゴメン」も言えないなんて・・

そんなことを思っていると、友達のS氏が腕を引っ張り代わりに謝ってくれた。

僕はといえば、周りからの視線が痛い。

きっとその時の僕の姿は居たたまれなかっただろう、Sにとっても。

人に謝りたい時くらいせめて吃音の症状がでなければ・・・

あの時、吃音が克服できていたら、少しは僕の40年間にも及ぶ自信のない人生は変わっていたのかなと思う。

それでも40歳を過ぎて良い出会いがあり、吃音を克服できたことを考えると、あの頃の経験や悔しさが懐かしく感じられる。

僕がこの吃音克服の回顧録を書いているのも、ダメだった自分を懐かしむためなのかもしれない。。。

なお、2日目の終わり頃にはなんとなくターンも出来るようになり、そして大学卒業までの4年間、僕はスキーに生き続ける人間になった。

それというのも、最初に苗場スキー場へ行く段階でウェアはもちろんのこと、ブーツ、板などの道具一式を買ってしまっていたからだ。

先行投資が僕に後戻りを許してくれなかった(笑)