私が40歳になって吃音を克服するに至った>>この電子教材<<によると、吃音も7人に1人の割合で遺伝するらしい。
つまり子供が7人いたら1人が吃音者になる確率だ。
もっとも今の日本で7人の子供がいる家庭は、いわゆるテレビの大家族的なものにでてくる家庭を除けば皆無近いであろう。
なので、遺伝による吃音発生はあまり考えなくてもいいのかもしれない。
ただこの回顧録を書くにあたってよく身内の事を観察してみると、最近になって母親にどもりグセが出てきたような気がする。
また祖母に至っては、子どもや孫の名前を一度で呼べないという奇妙が症状が昔から出ていた。
たいてい3人目になって初めて正しい名前が出てくるのである。
例えばこんな感じ。僕(航汰)の名前を呼ぶ際に、必ず
「翔汰」、「優子」、「航汰」
みたいに違う名前が前に二人入るのだ。
※前に入る二人は身内に実在する名前なので完全なボケではないらしい。もっとも間違えて呼ぶ癖があったのははるか昔からのことであるようだ。
この祖母の直接どもりではないが、一種の言語障害的な状況を思い出した時、単にどもりグセだけが遺伝で吃音者を生むのではないのではないかという仮説が僕の中で生まれたので、もう少し書いてみようと思う。
家族ぐるみの責任回避?
祖母は若干どもりのクセもあった。3人の名前を呼ぶ時にそれぞれの名前で吃音がでるのだ。
しかも母親もどもるんじゃ、僕の場合は完全に遺伝では?
そんな思いがいましてきた。
ところが今思うと母親を始め親戚の中で祖母や母が僕の吃音の原因だと言っていた人は一人もいなかった気がする。
あるいは祖母や母親の中では、そのような話も出ていたのかもしれないが、少なくても僕の知る由はない。
そうなってくると家族ぐるみで責任回避、責任転嫁をしていたのでは?とさえ思ってしまう。
今回、もし40歳を過ぎて吃音を克服することが出来たという経験をしなかったらという話だが・・・
ココ最近の吃音の原因に関する奇妙な風潮
さて話は変わるが、遺伝とまでは行かなくても、妊娠中の母親のストレスで吃音が出てしまうという説も昔はあったようだ。
どうやらこの説は、表向きは否定されているらしい。
一方で母体や出産後の本人の精神的な原因で吃音が発生すると考えている人もいる。
完全とまでは行かなくても吃音が克服したと一応宣言できるまでにしてくれた>>この教材<<は後者の立場から書かれている。
ここで少し考えてみたい。
もしかしたら嫌悪感を抱かれる方もいるかもしれないが、本当に悩んでいるのは当事者。
なのでもしあなたが吃音者本人でなくお母さんや関係者だとしたら、臭いものにフタをするようなことをせずに耳を傾けて欲しい。
僕はこれまでに10冊以上のレベルで吃音に関連する本を読んできたがココ数年で本の中にこんなフレーズが目立つようになった。
「心配しないで!母親の精神状態は子供の吃音に関係しないから」
「子供の性格とか育った環境、感情面と吃音とは関係ないですよ」
このような言葉を聞いて安心するのは誰だろう?
母親をはじめ吃音者の家族ではないだろうか?
安心するとどうなる?
安心させてくれた人を人は好きになるのだ。
つまり著者のことを読者は好きになるのである。
人は好きになった人のことは信頼しやすい。
では、もし信頼する人が吃音の治療を業としていたら・・・
もうこれ以上はいうのはやめよう。
ただ個人的に何度となく発話練習をはじめとする、いわゆる吃音治療を受けてきたが、それで吃音が改善することは僕はなかった。
僕の職業はコピーライターである。コピーライティングの基本として、購入見込者に安心を与え、好かれるという鉄則がある。
そんな使う魔法のフレーズがこれ
「あなたは悪くありません!」
前出の関係者に心地いい言葉が自分が常々使っている魔法のフレーズに重なったので、今日は批判を承知でいらぬ回顧録を記してみた。
考えすぎずリラックスが一番かな
ちなみに始めのほうに話した祖母は母方の祖母である。
その母方、つまり母の兄弟は少しメンタルが弱いところがある。
母の弟(叔父)はしばらく精神安定剤のような薬を飲んでいた時期もあったようだし、その叔父の息子もまた精神が不安定で定職に就けないでいる(いわゆる取り乱す系の症状が出ないことは不幸中の幸いだそうだが)
で、私が見るに祖父は非常に情緒不安定な人だった。というかすぐに怒鳴る系の短気な性格だったのだ。
何が言いたいかというと、私の吃音の原因は遺伝が関係していないとは言い切れないし、むしろ十分に関係しているような気がしてならない。
少なくとも精神的に不安定な環境は何らかの抑圧を呼び、吃音の原因に十分になり得るとさえ思う。
なのでもしあなたが吃音者自身やお母さんなどの関係者であったとするならば、出来る限りリラックスした生活を送るといいのかなと、僭越ながら思う。
大人になっての吃音は非常に治りにくいらしい。
僕が日常生活にまったく困らない程度に吃音を克服したのはかなり珍しいのかもしれないが、逆説的にどもりグセを吃音と決めつけないというなんとも不可解な気持ちの持ちようも必要なのかもしれない。
もしあなたを不愉快にしてしまったらゴメンナサイ。