吃音克服の回顧録を書き始めてから当然ながら、すでに忘れ去っていたことをよく思い出す。
その中でも、どうもよく思い出せないのが、一番最初に吃音の症状がどうやって出たのかだ。
どうしても自分の話そうとする言葉が出てこない。その最初に自分の中で、「あ、どもってる」と認識をしたのはいつの時点だったのだろうか?
吃音の症状を初めて意識した時の記憶を呼び起こしてみようと思う。
特に吃音で困った記憶がない小学3年生まで
自分に吃音の症状が出ててるなと初めて認識したのは、おそらく幼稚園児の頃だと思う。
多分、その時は親に「もう少し落ち着いて話してごらん」とか言われたんだと思う。
幼稚園児だと、僕が話し方が変とかは、あまりわからなかったんだのではないだろうか?幼稚園の頃に吃音について触れられた記憶は全く無い。
次に小学校に上がってからだけど、この頃には確実に吃音の症状は出ていたと思う。
それでも、やっぱり学校でどうのこうの言われた記憶はないのだ。
なので、自分でも吃音の症状がどのようなものだったのか思い出せない。
自分の中で、はっきりと吃音の症状が出ているなと思ったのは、父が借りの家みたいなものを新築した後である。
つまり、小学校3年の夏の引越し後だ。
引越後にいじめられてから自覚した吃音の症状
転校生というのはいじめられやすいというのは本当だと思う。
ご多分に漏れず、小学校3年の夏に引っ越した僕もほどなくいじめられ始めた。
子供ながらにもどうにかしていじめを回避するために努力をしていたわけであるが、それでもあることだけはどうにもならなかった。
それが、吃音の症状である。
僕がはっきりと自分が吃音者だと認識したのは、転校後にいじめられ始めてからだったと思う。
覚えているのが、とにかく話そうとすると頭の単語を繰り返してしまうこと。
「あ、あ、あ、あ、あそこ行こうよ」
するとお決まりでこう突っ込まれる
「あ、あ、あ、あそこって、ど、ど、ど、ど、どこのこと言ってるの?」
一同、大笑い・・・
仕方がないので、僕も一緒に笑った。。。
あるいは、今気づいたんだが、向こうはいじめているつもりはなかったのかもしれない。
ただ当時の僕はいじめられているなと十分に感じていた。
思い出しただけでもイライラしてきた。
何にイライラしてるかって、イジメてきた奴らに対してではなくて、イジメられているのにヘラヘラ笑ってごまかしていた自分にだ。
まあ、イライラするなんて当時は考えられなかったことだが。
吃音を克服できた今だからこそ、むしろ過去の出来事は大したことじゃなかったんじゃないかと思い始めているのかもしれない。
それとこれは吃音の症状とは少し違うけど、どもりが出ないように喋るとどうなるのか?極限まで試したことがあるので、それもついでに書いておきたい。
どもりを極限まで我慢して言葉を発するとどうなるのか?
例えばだが、「オレンジジュースください」とオーダーするとしよう。
普通にどもる時は当然
「オ、オ、オ、オ、オレンジジュースください」
となるわけだが、意地でも「オ」を繰り返さないように試したことがある。
結果どうなったか?
この世のものではないようなうめき声を出して窒息死しそうになった(汗)
「オ」と発音が出来ないため、喉の奥の方に力が入ってしまうのだ。
その結果、声帯を空気が通らなくなり、肺から外に排出すべき空気がせき止められた格好になる。
そのまま行けば、当然窒息死である。
もちろん、窒息等する前にどもらずに話すことを諦めたわけだが。。。
吃音者であっても息はできるので。