今でもあるんだろうか?
僕が小学生の頃、というのはすでに30年ほど前の話になるわけだが、卒業式には吃音者にとっては地獄のイベントがあった。
それは「呼びかけ」とか「掛け合い」と言われていたもの。
卒業生の挨拶として、一人ひとりが立ち上がってワンフレーズずつ読み上げるのだ。
そんなのって、今考えてもいじめに近い。
卒業式1ヶ月前の憂鬱
そのことを始めて知った時の衝撃は今も忘れない。
あれは小学校の卒業式の1ヶ月前のことであった。
「卒業式はひとりひとりに立ってセリフを言ってもらうよ」
カバゴリラと呼ばれていた埼玉大学教育学部出身の担任は容赦なくそういった。
ちなみにカバゴリラは見た目の問題で、男性ではあったが繊細で心優しい担任であった。
そんなことはいいとして、
・・・みんなが見ている卒業式で?
・・・一人ひとりが立ち上がってセリフ?
・・・大きな声で?
ありえないと思った。本当に地獄かと思った。卒業なんてしなくてもいいと思った。
それでも練習は始まった。
こういうのに慣れている奴がいるんだよな。うまくできるやつは何をやってもうまくいく。
当然、小学生とはいえ優劣は出てくる。
教科書の朗読は思ったよりも苦にならなかった。そして中学生の頃には、さらに朗読がうまくできる改善方法のようなものも見つけたのだが、呼びかけって全然自分のペースで出来ないでしょ。
何はともあれ、練習が始まった。
周りを緊張させる小学6年生の僕
僕はもちろん緊張した。
でもそれ以上にプレッシャーになるのが、周りのみんなが緊張していること。
いじめられモードになる時は、吃音をからかわれていたが、さすがに小学校の行事となるといじめはなかった。
むしろ緊張の渦にみんなで巻き込まれてしまうのだ。
まあ、ある人は本当に心配して、ある人というか、僕の前後を担当する人は僕にタイミングを狂わされるのを心配して、そして当時は思いもしなかったが、もしかしたら小学生ながらに僕のせいで卒業式がぶち壊れになりやしないかを心配していた輩もいたかもしれない。
とにかく重大な懸念を残しながら卒業式を迎えたのである。
あの苦手な母音が僕を襲う
なぜ懸念が残ったのか?
ただの一度もどもらずにセリフを言えなかったからである。
そのセリフとは・・・
「~~~だった秋の遠足」
~~~の部分はよく覚えていないのだが、後半はハッキリと覚えている。
なぜか?
僕にとって一番発音がしづらい「あ行」が重なっていたから。
すなわち「<あ>きの<え>んそく」である
全部で何分くらいあったのだろうか?まったく覚えていない。
でも始まって10人目くらいに僕の順番はやってきた。
僕の前のやつは「運動会」で終わる(うんどうかいもいいづらい)
そして僕。
「~~~だった、あ、あ、秋の、え、え、え、え、遠足」
僕の小学校生活はこれで終わった。
吃音は出てしまったよ。どもりにどもってしまったよ。
でも、やりきった感がいっぱいだった。
終わってみたら、そこには12歳ながらある種の達成感があった。
その頃のセンシティブな感覚や思いがあるからこそ、いまライターという仕事ができているのではないかとさえ思ってしまう。
とはいえ吃音が克服できた今だからこそ「試練の道だったがよい経験だった」なんて振り返られるんだと思う。
その頃の僕はそれから吃音者としてどれだけひどい思いをするのか知るすべもなかったのだから。
最後に言いたいことがある。
きっと卒業式に出席していたお袋も辛かったんだろうなと・・・