160413yakyu

プロ野球シーズン、高校野球開催、日本では冬の1~2ヶ月を除けば、ニュースで野球関連の話題が流れない日はない。

そんな中で、いつも思い出すのが、少年野球時代のこと

スポーツの基本、声出し

スポーツ、特に団体戦でやるスポーツでは練習中や試合中に声を出すことは基本だ。

小学校から高校にかけて野球をやっていた僕も、ご多分に漏れず声を出していたわけではあるが・・・

吃音者であった僕は、普通の人と比べて声を出すだけでも勇気が必要だった

特にただでさえ緊張している試合中には、余計に言葉を発しにくかったことを今でも覚えている。

野球の試合中に吃音グセが出てしまう場面

少年野球、中学、高校、どれも基本的には同じだが、試合中にはバッターの時、守備の時、応援などで声出しがある。

例えば、バッターの時などは

「さあ、こい!」

などと声をだすが、これは比較的すんなりと言えた。

守備の時にも、

「バッチこい!」

などというが、バッチの部分で時たま吃音が出た時があった。

「バ、バ、バ、バッチこい!」

となってしまうのである。

でもまあ大概は持ちこたえた。

一番難儀だったのが応援の掛け声だ。

基本的にリードみたいな形で、誰かが発した言葉を繰り返すか、違う言葉を返すか、みたいな掛け合いになることが特徴だ。

例えばこんな感じ。

リード:「ピッチャーびびってる♪」

みんな:「イエイ、イエイ、イエイ!」

で、このリードの役は代わりばんこずつでやるのだが、この順番が回ってくるのが給食でほぼ食べられないバナナが出てくるのと同じくらい嫌だった。

いや正確に言えば、バナナは残せるからいい。

でも応援のリード役はスキップというわけにはいかないのだ。回ってきたら必ず始めなければいけないという残酷な現実。

回ってくるなという気持ちが強すぎると余計に失敗する可能性を増してしまう。

ハッキリ言ってビビっているのは相手のピッチャーではなくて、応援している側の僕だった(汗)

しかし逃げることはしなかった。

それは野球が好きだったから。

そして仲間で何かをするのが好きだったから。

もちろん40歳にもなって始めて吃音が克服できたのは、この教材のおかげではあるけれど、それでもあの時、声がけ、応援から逃げていたら、60歳になっても70歳になっても吃音を克服できていなかったような気がする。

吃音がヒトの役に立った瞬間

最後にひとつだけエピソードをご紹介したい。

それは、僕のひと言がピッチャーを救ったという話。

あれは、出場チーム30チームほどの小さな少年野球大会だった。

僕らは順調に勝ち上がり準決勝を迎えた。

地域の少年野球大会は5回までという規定が多いのだが、その5回にピンチを迎えた。

1点差でリードしていた最終回。1アウトランナーは2塁3塁だ。

場合によっては1本ヒットが出たらサヨナラ負け

普段は強気のサイドスローピッチャーMもさすがに緊張しているのが伺えた。

こんな時は、周りの人間が声をかけてあげるのが効果的と野球の世界ではいわれている。

サードのKがまず声をかけた。

ファーストの僕も、こういう場面では声をかけたい。

声をかけたいのはやまやまなのだが、声を発しようとすると例の吃音グセが出てくる。

吃音グセが出るときには、喋る前からわかるものだ。

50%くらいは吃音が出るなとか、80%は吃音が出るなとか、その時々によって、防げそうな確率はわかるのだが、その時は100%出るとわかっていた。

でも、そこで僕は勇気を振り絞ってMのほうに向かって声をかけた。

「ピ、ピ、ピ、ピ、ピッチャーら、楽に!」

僕の頬は一気に真っ赤になった。

心なしか帽子のつばも目深に被った気がする。

Mのほうはというと、最初訝しげに僕のほうを見たものの、次の瞬間「(^w^) ぶぶぶ・・・」と笑った。

すると、その時に投げていたバッターは見事三振に打ち取り2アウト。

さらに最後のバッターはサードゴロに仕留めて試合終了。

吃音グセがヒトの役にたった瞬間である。

結局、決勝戦は難なく勝ち、僕の野球人生唯一の優勝をもぎ取ったのである。

あの日、あの時、100%どもりが出るとわかっていてMにかけた声。

今までの40数年の人生の中で、一番勇気を振り絞ったのではなかったかという気さえしてしまう。

そう考えると、あの時の経験は決してヒト(他人)を助けたのではなく、自分自身を助けたことにほかならないのかもしれない。。。