子供の頃からほとんど何の取り柄もなく平凡だった人生。
少しだけ運動神経は良い部類だったかもしれないが、それを打ち消すかのように身長も低く、(自分ではよくわからないのだが)顔もブサイクな僕。
そして何よりも吃音に怯えていた40歳までの僕の人生。
そんなコンプレックスだらけの半生だったけど、唯一自慢というか、褒められたことがある。
それも吃音症だった僕が言葉を発することで・・・
それが歌、カラオケである。
あま~い、思ひ出。
穏やかな季節になると思い出す。キャンパスのある丘の上から動物園のある大学の最寄り駅へと坂を下っていく道すがら。
この時が、僕の人生で一番胸を張って仲間たちを先導できていたと思う。
理由は簡単。
言葉を発する場面で唯一苦痛にならないのがカラオケの時間だったからだ。
高校生の頃までもカラオケに行くことはあったのだが、主に家族や親戚とだったし、高校が男子校で、逆ナンパ事件を除いてはほとんど女子との交流もなかったからだ。
それが大学に入った途端に(当たり前だが)年頃の女子大生がわんさかいる。
勧誘されるがままにいわゆるオールラウンド系の夏はテニス、冬はスキーみたいなサークルに入った。
そんな、ほぼ遊び、飲み会目的のサークルだから、暇を見つけては授業が終わったらカラオケなどに行く機会も多かった。
そしてカラオケに行く時には、(吃音者である)僕も声をかけられるのだ。
僕が1年の時、一つ上の2年生にキレイなFさんという先輩がいた。
Fさんは歌もうまく、彼女とは気も合い、二人きりではないけれどもよくカラオケにいった。
今でも覚えている。Fさんが中山美穂の『You’re My Only Shinin’ Star』を歌うと・・・
僕はチューブの『Remenber Me』を歌う。
今までドン臭い人生だった背も低く、ブサイクな男が輝いていた唯一の時代。
人生最高の正のスパイラル
歌は子供の頃から好きだった。
人前で一番最初にカラオケで歌ったのが、親戚の新築祝いの席。(アカペラでは教室でそれ以前に松田聖子を歌っていたw)
歌は石原裕次郎の『ブランデーグラス』。今から考えても小学校4年生位でその選曲は渋すぎ(汗)
大学に入った時に、どもりグセがあるにも関わらずその歌好きが開花したというわけだ。
サークルで歌を褒められて人生で始めて自信をつけたのか、コンプレックスいっぱいなのにお調子者の僕はカラオケボックスでバイトを始めた。
そのカラオケボックスは大手カラオケ機器メーカーの取締役が副業でやっていた店舗で規模も小さく、入って間もなく若干18歳で店長を任された(笑)
なので、閉店後は防音ルームで歌いたい放題。
新曲が出ればみっちり練習できるんだから余計に歌も上達する。
すると、「結城君は本当に新しい曲もすぐに歌えるよね」と褒められる。
褒められると、ある種の使命感を抱きながらまた練習する。
いまこの回顧録を書いていて改めて思ったけど、本当にその頃が正のスパイラル全盛期だった。
一番歌っていたのは、何と言ってもサザン、桑田佳祐さん。別に歌い方を意識していないんだけど声質が似ているのかよくモノまねしてと言われた(笑)
それにTUBE、B’z、チャゲ&飛鳥、ホント殆どの男性歌手は歌えたな。
舞台は世界へ(笑)
社会人になってからもカラオケにはよく行った。そして少々しつこいが、新卒の頃本拠地だった(住んでいた)鎌倉市の大船付近ある馴染みのパブやスナックのお姉ちゃんたちによく褒められた。
そして現在は・・・
よく行く、そして彼女も出来たフィリピンのライブバーで歌うようにまでになった!!
吃音が克服できた今、何のためらいもなしに世界を舞台に移し活躍していこうと思う(爆)
社会人に入ってちょこっといじったギターも再開してみようか。