吃音症の克服実践記を書こうと思ってまず記憶をたどるのは、いつ何をきっかけに吃音症になったのかということ。
「いつ」については記憶にあるのは、前回のブログでかいたように小学3年生以前だった。
きっかけについては自分の中でも、いくつか候補がある。
近所の子のモノマネがきっかけ?
中学生の頃、吃音症になった原因について母に聞いたことがある。
おそらく何らかの原因があったと思ったから・・
まあ医学的な原因はやっぱりわからなかったわけだが、きっかけについては母は明確に話してくれた。
それは3歳年上の近所の子のモノマネをしたのが吃音症のきっかけだったということ。
どうやらその友達に、どもりグセがあったというのだ。
今となってはまったく記憶にない
その頃は、おそらくお母さんがそういうんだからそうなんだろうくらいにしか思ってなかったと思う。
だってまさかお袋がウソをつくなんて思わないから。
いや厳密に言えば、ウソではないのかもしれない。
確かに、近所でよく一緒に遊んでいた3歳年上のT君は存在した。
T君の存在自体は、いまでもよく覚えているし、よく遊んだ記憶もある。
余談だがT君の家は、いわゆる地元の自動車整備工場をやっていて、お屋敷だった。
今は車検が簡素化されてあまり儲かってないだろうが、当時はきっとお金持ちだったんだろうと思う。
もとい。
そう、そのT君だが、僕の記憶の中ではまったくもってどもっていたという印象がない。
母親の贖罪の気持ち
さて、なぜ母親がウソをついたのかもしれないと思ったのかについて、少し書いておこうと思う。
それは、就職の面接時に重度の吃音でどうにもたまらなく自暴自棄になっていた頃の話。
今みたいにインターネットなんてない頃なので、吃音に苦しんでいる仲間なんて早々近くにはいない。
そんな中、吃音書に関するある本を読んでいた時。
子供の吃音に悩んでいる母親の手記が目に止まった。
なんでも3歳の子供がどもりはじめたというのだが、そこには母親が自責の念に駆られている文章がつらつらと書かれていたことをはっきりと覚えている。
僕が中学生の時、僕のお袋もこうやって苦労していたんじゃないだろうか?
心のなかで申し訳無さを感じ、とっさにウソをついてしまったりしたことがあったんじゃないか?
吃音症をほぼほぼ克服した今では、そんなことはどうでもいいことだが、当時のことを思うと、吃音症に苦しむ自分、そして子供が吃音症に苦しんでいる姿を見る母。
まるで地獄絵のような家庭だったんだなと振り返る。
吃音症になるきっかけなんて思い出しもしなくなった今は本当に幸せだと思う。